一酸化窒素(NO)はL-アルギニンからNO合成酵素を介して合成されるのみならず、NOの代謝産物である亜硝酸塩(nitrite, NO2–)および硝酸塩(nitrate, NO3–)からも合成される。硝酸塩は緑葉野菜に多く含有されている。しかし、食事中の硝酸塩/亜硝酸塩の不足が病気を引き起こすか否かは知られていない。本研究では 、食事中の硝酸塩/亜硝酸塩の長期に渡る不足が代謝症候群を引き起こすという仮説を立て、それをマウスにおいて検証した。
この目的のために、通常飼料とL-アルギニン、脂質、炭水化物、蛋白質、カロリー含有量が同一の低硝酸塩/亜硝酸塩飼料および飲用超純水を準備し、これを低硝酸塩/亜硝酸塩食として使用した。低硝酸塩/亜硝酸塩飼料、飲用超純水ともに硝酸塩/亜硝酸塩は検出されなかった。
低硝酸塩/亜硝酸塩食の3ヶ月投与は、通常食と比較して、野生型C57BL/6Jマウスの食餌摂取量および飲水量に影響を与えなかった。しかし、低硝酸塩/亜硝酸塩食の3ヶ月投与は、通常食と比較して、有意な内臓脂肪蓄積、高脂血症、耐糖能異常を引き起こし、低硝酸塩/亜硝酸塩食の18ヶ月投与は、有意な体重増加、高血圧、インスリン抵抗性、血管内皮機能不全を招き、低硝酸塩/亜硝酸塩食の22ヶ月投与は、急性心筋梗塞死を含む有意な心血管死を誘発した。これらの異常はすべて硝酸ナトリウムの同時投与により抑制された。また、これらの異常は、内皮型NO合成酵素発現レベルの低下、アディポネクチンレベルの低下、並びに腸内細菌叢の異常との関連が認められた。
これらの結果は、食餌性硝酸塩/亜硝酸塩の長期不足がマウスに代謝症候群、血管内皮機能不全、および心血管死を惹起するというエビデンスを世界で初めて提供する。この研究結果から、代謝症候群およびその血管合併症における外因性NO産生系の病因的役割が初めて明らかになった。
食事中の硝酸塩および亜硝酸塩の長期不足はマウスに代謝症候群、血管内皮機能不全、および心血管死を引き起こす
Long-term dietary nitrite and nitrate deficiency causes the metabolic syndrome, endothelial dysfunction and cardiovascular death in mice. Diabetologia 2017; 60(8): 1502-1511 (IF 10.122)
喜名 美香(琉球大学大学院医学研究科薬理学、歯科口腔外科)
坂梨 まゆ子(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
谷本 昭英(鹿児島大学医歯学総合研究科病理学)
要 匡(琉球大学大学院医学研究科先進ゲノム検査医学)
松崎 俊博(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
野口 克彦(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
内田 太郎(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
仲宗根 淳子(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
小塚 智沙代(琉球大学大学院医学研究科内分泌代謝・血液・膠原病 内科学)
石田 昌義(琉球大学大学院医学研究科薬理学、同再生医療研究センター)
久保田 陽秋(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
平良 雄司(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
戸塚 裕一(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
喜名 振一郎(琉球大学大学院医学研究科歯科口腔外科)
砂川 元(琉球大学大学院医学研究科歯科口腔外科)
大村 淳一(東北大学大学院医学系研究科循環器内科学)
佐藤 公雄(東北大学大学院医学系研究科循環器内科学)
下川 宏明(東北大学大学院医学系研究科循環器内科学)
柳原 延章(産業医科大学医学部薬理学)
前田 士郎(琉球大学大学院医学研究科先進ゲノム検査医学)
大屋 祐輔(琉球大学大学院医学研究科循環器・腎臓・神経内科学)
松下 正之(琉球大学大学院医学研究科分子・細胞生理学)
益崎 裕章(琉球大学大学院医学研究科内分泌代謝・血液・膠原病 内科学)
新崎 章(琉球大学大学院医学研究科歯科口腔外科)
筒井 正人(琉球大学大学院医学研究科薬理学)
代謝症候群は、内臓脂肪蓄積を基盤として、高脂血症、耐糖能異常、高血圧、インスリン抵抗性などの動脈硬化の危険因子が重複した病態である。代謝症候群は先進国において罹患率が高く、アメリカでは20歳以上の成人の23%が代謝症候群に罹患している(JACC 2013)。代謝症候群は、心筋梗塞、脳卒中、2型糖尿病、心血管死、総死亡のリスクを増加させる。代謝症候群の成因には、食事からのカロリー過剰摂取、運動不足、遺伝、加齢などが関与していることが報告されているが、その詳細な機序は未だ十分に解明されていない。
一酸化窒素(Nitric Oxide: NO)はL-アルギニンを前駆体としてNO合成酵素を触媒として合成されるガス状低分子化合物である。NOはヒトのほとんど全ての臓器・組織で合成・遊離され、多彩な生物活性を発揮し、生体の恒常性の維持に重要な役割を果たしている。NOは酸化反応により不活性な亜硝酸塩(NO2–)および硝酸塩(NO3–)に代謝される。硝酸塩/亜硝酸塩は以前は単なるNOの代謝産物としての認識しかなかったが、最近、硝酸塩が還元反応により亜硝酸塩に、その次にNOに変換されるNOの代謝と逆の経路が発見され、近年、硝酸塩/亜硝酸塩はNO供与体としての新しい役割が注目されている。
硝酸塩はレタスやほうれん草などの緑葉野菜に多く含有されている。しかし、食事中の硝酸塩/亜硝酸塩の不足が病気を引き起こすか否かは知られていない。そこで私達は 、食事中の硝酸塩/亜硝酸塩の長期不足が代謝症候群を引き起こすという仮説をマウスにおいて検証した。
この目的のために、通常飼料とL-アルギニン、脂質、炭水化物、蛋白質、カロリー含有量が同一の低硝酸塩/亜硝酸塩飼料および飲用超純水を準備した。低硝酸塩/亜硝酸塩飼料、飲用超純水ともに硝酸塩/亜硝酸塩は検出されなかった。6週齢のオスの野生型C57BL/6Jマウスを実験に使用した。低硝酸塩/亜硝酸塩食(低硝酸塩/亜硝酸塩飼料+飲用超純水)あるいは通常食(通常飼料+飲用水道水)をマウスに1週間から22ヶ月投与した。
私達は過去に、NO合成酵素完全欠損マウスの血漿および尿中硝酸塩/亜硝酸塩レベルは野生型マウスに比して10%以下に著明に低下していることを報告した(PNAS 2005)。この結果から、生体のNO産生は主として内因性NO合成酵素によって調節されていること、外因性NO産生系の寄与は小さいことが示唆されたが、低硝酸塩/亜硝酸塩食を野生型マウスに3ヶ月間投与すると、意外なことに、血漿硝酸塩/亜硝酸塩レベルは通常食に比して30%以下に著明に低下した。この機序を検討するために、NO合成酵素の発現レベルを検討したところ、低硝酸塩/亜硝酸塩食を3ヶ月間投与したマウスでは内臓脂肪組織における内皮型NO合成酵素の発現レベルの低下が認められた。低硝酸塩/亜硝酸塩食を3ヶ月投与は、マウスの食餌摂取量や飲水量には影響を及ぼさなかった。しかし、低硝酸塩/亜硝酸塩食の3ヶ月投与は、有意な内臓脂肪蓄積、高脂血症、耐糖能異常を引き起こし、低硝酸塩/亜硝酸塩食の18ヶ月投与は、有意な体重増加、高血圧、インスリン抵抗性、内皮機能不全を招き、低硝酸塩/亜硝酸塩食の22ヶ月投与は、急性心筋梗塞死を含む有意な心血管死を誘発した。これらの異常はすべて硝酸ナトリウムの同時投与により抑制された。また、これらの異常は、内皮型NO合成酵素発現の低下、アディポネクチンの低下、並びに腸内細菌叢の異常と有意に関連していた。
以上本研究では、食事中の硝酸塩/亜硝酸塩が長期に不足するとマウスに代謝症候群、血管内皮機能不全、および心血管死が引き起こされることを初めて明らかにした。この機序には、アディポネクチンの低下、内皮型NO合成酵素発現の低下、並びに腸内細菌叢の異常が関与していることが示唆された。
私達は通常食とカロリー含有量が同一の低硝酸塩/亜硝酸塩食をマウスに投与した。マウスの食餌摂取量は18ヶ月までの全実験経過を通じて通常食群と低硝酸塩/亜硝酸塩食群の間で差がなかった。にもかかわらず、低硝酸塩/亜硝酸塩食を食べたマウスは代謝症候群を発症した。従って私達は、食べ過ぎやカロリーの摂り過ぎが無くても代謝症候群が生じるメカニズムの解明に世界で初めて成功したのかもしれない。
本研究の結果から、硝酸塩を豊富に含有する緑葉野菜の摂取を明確な科学的エビデンスを根拠として推奨出来ることが示唆された。
近年、沖縄県民の健康レベルは危機的状況にある。1985年に沖縄県の平均寿命が世界一となり1995年に世界長寿地域宣言が発表されたのもつかの間、僅か5年後の2000年には男性の平均寿命が全国第26位に急落した(沖縄クライシス)。2010年には女性の平均寿命もついに全国第1位の座を明け渡し、今日に至るまで凋落に歯止めがかかっていない。沖縄ではお年寄りは今も長寿である一方で、働き盛り世代の突然死が全国トップという二極化が起きている。この主因は戦後27年間に及ぶ米軍統治下で肉食偏重の米国型食習慣が本土より約20年先行して流入し、代謝症候群が増加して動脈硬化性疾患が増加したことによる。事実、沖縄県民の加工肉購入金額は全国第一位、野菜摂取量は全国最下位レベル、代謝症候群の有病率は突出して全国第一位、急性心筋梗塞の有病率も全国トップレベルにある。この様な背景から、代謝症候群の克服は沖縄県の医療行政における喫緊の課題となっている。
本研究では、食事中の硝酸塩/亜硝酸塩の不足が代謝症候群および急性心筋梗塞死を含む心臓突然死を引き起こすことを明らかにした。硝酸塩は緑葉野菜に豊富に含有されている。これらの結果を踏まえて、野菜の摂取を、明確な科学的エビデンスを根拠として、沖縄県民に広く推奨することが出来る。ひいては沖縄県の代謝症候群の征圧と健康長寿の復活に繋がることが期待される。加えて、沖縄県産野菜の消費拡大と農産業の振興に繋がることも期待される。