研究紹介

一酸化窒素(NO)産生障害が肺気腫を引き起こすことを発見

【研究要旨】

私たちの肺には肺胞と呼ばれる小さな袋が数億個あり、これが酸素と二酸化炭素の交換を担っています。肺気腫は、本来の肺構造、特に肺胞の構造が破壊されて肺に空気がたまってしまい(気腫)、うまく息を吐けなくなって息切れをきたす病態です。肺気腫では肺胞に空気を送る気管支が炎症を起こす慢性気管支炎を伴うことが多く、現在では肺気腫と慢性気管支炎の病態を総称した「慢性閉塞性肺疾患(COPD)」という診断名が広く使用されています。日本には約530万人のCOPD患者がいると推定され、COPDは日本人の死亡原因の第9位を占めています。高齢化のためにCOPD患者は増加し続けており、約10年後には日本人の死亡原因の第3位になると予想されています。COPDの最大の原因が喫煙であることは分かっているのですが、COPDがどの様なメカニズムで発症するか、その正確な分子機構が不明のため、治療としては対症療法(禁煙、気管支拡張薬、酸素療法など)にとどまり、有効な根治的治療法の開発が喫緊の課題となっています。

琉球大学の筒井教授らの研究グループは、COPDの発症メカニズムの研究の過程で一酸化窒素(NO)に着目しました。NOは、ヒトの生体内においてNO合成酵素(NOSs)から合成されるガス状の生理活性物質です。NOSs系には高度に機能や構造が類似したアイソフォームと呼ばれるグループがあり、神経型(nNOS)、誘導型(iNOS)、内皮型(eNOS)の3つで構成されています。肺には正常な状態および病的な状態のそれぞれにおいて3つのNOSsがすべて発現しており、肺の正常な機能にNOSが関わっていることが考えられてきました。しかし、NO/NOSs系の障害が肺の病気を引き起こすか否かは不明でした。研究グループは、NOSs系の3つのアイソフォームを完全に欠損するマウス(トリプルn/i/eNOSs欠損マウス)を作出し、このマウスで肺や肺機能がどの様な影響を受けるか詳細に検討しました。

トリプルn/i/eNOSs-/-マウスの肺では、ヒト肺気腫の患者に特徴的な病態、すなわち肺胞壁の破壊、肺胞隔壁間距離の増大、肺胞破壊指数の増加、肺エラスチン線維量の減少、肺野CT値の低下、および呼気終末肺容積の増加が認められました。これらの結果から、マウスNOSs遺伝子を完全に欠損させると自然発症の肺気腫が引き起こされることが明らかになりました。また、トリプルn/i/eNOSs-/-マウスの肺ではWnt/β-cateninシグナル伝達路構成因子の発現が低下していたことから、本シグナル伝達路の障害が肺気腫の発症に関与していることが示唆されました。

本研究において、NO産生障害が肺気腫を引き起こすことを世界で初めて明らかにしました。本研究の成果を踏まえて、肺気腫に対する全く新しい治療法が開発されることが期待されます。

本研究は、琉球大学、産業医科大学、東北大学、および鹿児島大学との共同研究です。論文は、Nature Publishing Groupが発行する国際学術誌Scientific Reports 11(1):22088, 2021 (IF 4.996)に掲載されました。

【論文タイトル】

一酸化窒素合成酵素系完全欠損マウスに認められた自然発症肺気腫

Spontaneous pulmonary emphysema in mice lacking all three nitric oxide synthase isoforms. Scientific Reports 2021;11(1):22088 doi: 10.1038/s41598-021-01453-6 (IF 4.996)

【著者】

加藤香織1)、筒井正人(責任著者)2)、野口真吾1)、伊波幸紀2)、内藤圭祐1),生越貴明1),西田千夏1)、田原正博1)、山下弘高2)、王克鏞3),豊平由美子4)、柳原延章4)、益崎裕章5),下川宏明6)、谷本昭英7)、矢寺和博1)

【著者所属】

1)産業医科大学医学部呼吸器内科学

2)琉球大学大学院医学研究科薬理学

3)産業医科大学共同利用研究センター

4)産業医科大学医学部薬理学

5)琉球大学大学院医学研究科第二内科学

6)東北大学大学院医学系研究科循環器内科学

7)鹿児島大学大学院医歯学総合研究科病理学

【本研究の背景】

肺気腫は、本来の肺構造が破壊されて肺に空気がたまってしまい(気腫)、うまく息を吐けなくなって息切れをきたす病態です。現在では肺気腫と慢性気管支炎の病態を総称した慢性閉塞性肺疾患(chronic obstructive lung disease: COPD)という診断名が広く使用されています。日本には約530万人のCOPD患者がいると推定されており(NICE study)、日本人の死亡原因の第9位を占めています。高齢化のためにCOPD患者は増加し続けており、約10年後には日本人の死亡原因の第3位になると予想されています(WHO world health statistics 2008)。COPDの最大の原因が喫煙であることは分かっているのですが、COPD発症の正確な分子機構が不明のため、当該疾患の治療は対症療法(禁煙、気管支拡張薬、酸素療法など)にとどまり、有効な根治的治療法の開発が喫緊の課題となっています。

一酸化窒素(NO)は、ヒトの生体内においてNO合成酵素(NOSs)から合成されるガス状生理活性物質です。NOSs系は、神経型(nNOS)、誘導型(iNOS)、内皮型(eNOS)の3つのアイソフォームで構成されています。肺には生理的および病的状態において3つのNOSsがすべて発現しています。しかし、NO/NOSs系の障害が肺の病気を引き起こすか否かは不明です。

【本研究の目的】

本研究では、肺疾患におけるNO/NOSs系の病因的役割を、私達が開発したNOSs系完全欠損マウス(トリプルn/i/eNOSs欠損マウス)を用いて検討しました。

【本研究の方法と結果】

本研究では、オスの野生型マウス、3種類のシングルNOS欠損マウス(nNOS-/-, iNOS-/-, eNOS-/-)、3種類のダブルNOSs欠損マウス(n/iNOSs-/-, n/eNOSs-/-, i/eNOSs-/-)、およびトリプルn/i/eNOSs欠損マウスを使用しました。生体内NO産生の指標である血漿NOx値は、野生型マウスと比較して全ての欠損マウスで有意に低下していましたが、その低下の程度はトリプルn/i/eNOSs欠損マウスで最大で、野生型マウスの1.9%にまで著明に低下していました。野生型マウスと比較してトリプルn/i/eNOSs-/-マウスでは、ヒト肺気腫患者に特徴的な肺胞壁の破壊(次頁図1)、肺胞隔壁間距離の増大、肺胞破壊指数の増加、肺エラスチン線維量の減少、肺野CT値の低下(次頁図2)、および呼気終末肺容積の増加が認められました。一方、シングルおよびダブルNOSs-/-マウスには、これらの所見は見られませんでした。トリプルn/i/eNOSs-/-マウスの上記異常所見は、生後4週齢の早期から認められました。肺のmRNA発現レベルをCAGE sequencingによって網羅的・定量的に解析したところ、野生型マウスに比してトリプルn/i/eNOSs-/-マウスにおいて、13個のWnt/β-cateninシグナル伝達路構成因子の発現が有意に低下していました。ELISA解析でもそれに一致した所見が認められました。過去の研究では、Wnt/β-cateninシグナル伝達路の障害が肺気腫の発症に関与している可能性が報告されていることから、トリプルn/i/eNOSs-/-マウスに認められた肺気腫の分子機序にはWnt/β-cateninシグナル伝達路の障害が一部に関与していることが示唆されました。

【本研究の結論(図1,2)】

私達は、本研究において、マウスのNOSs遺伝子を完全に欠損させると自然発症の肺気腫が引き起こされることを見出しました。

【本研究の意義(図3)】

肺気腫発症の正確な分子機構は不明です。私達は、NO産生障害が肺気腫を引き起こすことを世界で初めて明らかにしました。本研究の成果を踏まえて、肺気腫に対する全く新しい治療法が開発されることが期待されます。

 

【謝辞】

本研究は、科学研究費補助金 基盤研究(C)(16K09519、19K08657)、沖縄県先端医療実用化推進事業研究費、およびグラクソスミスクライン(GSK)ジャパン研究助成(7188022)の支援を受けました。